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きょうもありがとう
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![]() 画像は、なんてことない学校の渡り廊下。長女の中学の。 でも、私には、少し思い入れがある眺め。 娘が通う中学は、私たち夫婦の母校でもあって、 この間、文化祭で学校をまわったら、この廊下のこのポイントで もんのすごい懐かしさがこみあげてきました。 あれは多分、私が中1の終わり。 放課後の部活の時間、野球部がトレーニングで内周を走っていました。 この渡り廊下の向こうからこちらに走ってくるユニフォーム姿の夫を、 このアングルで初めて見たのでした。 小学校は別だったので、私は夫のことを知らなくて、 (もちろん、夫も私を知らなかったと思うけど) 友達に「あの子が○クン(夫の苗字)だよ」と教えてもらって、 「へぇ〜」と思ったわけで。 「へぇ〜」な互いの距離はそのままで3年過ぎ、 たまたま同じ高校へ進み、いろんなことを話すようになって。 いつしかパートナーとなり、おかげさんで楽しい今があるのですが、 とあることが起き、深い話をたくさんしたのは、この間のことでした。 (一日の報告やいろんな情報交換や、おばかな会話はよくすれど、 今回のは、繊細でデリケートな問題。 いつになく静かなふたりのトーンは、末娘を心配させてしまったようで、 2階で話し込む私たちのそばを、ぴたっと離れようとしません(笑) 「大丈夫だよ」「大丈夫よ」と私たちがにっこりすると、 安心したのか階下へ。) あれこれ話し、互いに聞き合ううちに、自分が見えてきます。 なるほど、なるほど。そうだったか、そうだったね。 そしてやっぱり思うのは、 今回起きたことは私たちにふたりにとっての大事な大事な修行。 悪気は毛頭ないけれど、よそ様に間違った振る舞いをしていた、 そんな自分たちをあらためさせてくれる「痛み」でした。 ごめんなさい。 神様、仏様は、ちゃあんと私たちに気づきの機会を与えてくださりました。 ありがたいです。 気づき、は、夫についてもありました。 互いの内面の深いとこにまでぐぐっと踏み込む話で、 夫のこと、よぉくわかっているつもりだったけど、 それは「つもり」だったことにも、気づけました。 夫が属する社会。小さなもの、大きなもの。 私には想像、共感しかできない、夫の闘いや充実感。 そんな幾多の波をのりこえ、夫は変化とか進化とか成長とか、している…。 私は妻として、そんな夫を…、いえ、どんな夫も…、 これからも見守らせてもらおう、と。 変化しているのは、きっとお互い様。 仕事を再開し、日々いろんなものを見聞きし、 影響を受けている私も変わったし、これからもそうなのだろうけど。 だから、ことばを交わしていこう。 喜びも、悲しみも、互いに相容れないことも、 ちゃんとことばを交わしていこう、 相手をわかっているつもり、にならんようにしていこう。 そしてそれは、夫婦だけでなく、近しい人との間でも。 全てが繋がって、全てに意味がある、と。 …全てに感謝です。ありがとう。 ひとつ前でちょこっとぼやかせてもらって…
すぅっと寄り添ってくれる人たちの優しさに触れられて、 とても助けられました。 「そっと」 「さりげなく」 どちらも私のめざしたいところ。 いいお手本、ありがたかったです。 もやもやとした混沌の中で、いろいろ考えたこと。 私は、孤独と戦っていたのではないかと思いました。 家で、仕事で、いろんなところで、こーんなに助けてもらって、 こーんなに寄り添ってもらっているのに、 孤独を感じるだなんてケシカランのだけど、 たくさんの手を借りても、どれだけ助けてもらえても、 最後はひとり。ひとりで立つ。 逆に言えば、ひとりでしっかり歩むがために、 みんなにパワーをもらい、そっと手を貸してもらい、 背中を押してもらっている、ってそういうことなのでしょうが、 今回は、私ってひとりなんだ、にフォーカスしてしまっていました。 例えば、こんなイメージ。 私が、サークル(円)の中心にいて。 ただひとり、いて。 そのサークルのラインの外側から、みんなは応援してくれたり、 コトバをかけてくれたり、見守ってくれたりしている。 ラインからかなり離れた位置から、の人もいれば、 ラインのギリギリから、声高に声援を送ってくれる人もいて、 いろんな半径で愛をもらう私。 でも、みんな、そのラインを超えては私に近づいてはこれない。 私は、サークルの中心で、周りの皆からのココロを感じながら、 ひとりで励み、ひとり泣き、ひとり省み、ひとり祈り、ひとり微笑む。 …あぁ、言い得て妙ってやつかも。 私の中の「自分と自分以外の人との関係性」は、 まさにこのイメージのような気がします。 私も、誰かのサークルの周りに立つ時、 「ラインの外側」というスタンスを守って、 それ以上踏み込んではいかないようにしているような気がします。 いっとう近くて、いっとう寄り添える夫との間にさえも、 ラインは存在しているように思います。 私自身がみんなに壁をつくっていて、 私も、みんなの壁をこわすことはしない…。 私って、人との距離感はそういう感じなのだと思います。 出てはいけないラインを守る、クソ真面目なヤツ。 とはいえ、不真面目の楽しさや快感も知り得ているので、 時には、「ラインを超えてはいけません」のルールを守らずに、 ぺろっと舌を出して、ラインを超えて相手に近づいていっちゃうような、 そんな熱い思いや交わりも大いにアリ!とも、思っているのです。 今回の孤独感、 おかげ様で乗り越えられそうだけど(ありがとうございます…)、 本当は、ルール違反しちゃえ、的に泣ける距離で さびしい時はさびしいと叫んで、 悲しい時は悲しいとちゃんと泣いてもよかったのだろうと思う私です。 ![]() サプライズでプチプレゼントしたのは、入籍記念日のこと。 無事生えてきた、そうです(笑) ![]() 糸井さんのほぼ日のスタンス、力の抜け具合、入れ具合、が好きで、 これは、と思った文章は、メモしておくことがあります。 何気なく読み返していたら、オモシロイ文章に「出会い直し」。 ふたたび味わっていました。 今年の3月くらいの「今日のダーリン」の文章で… ******************************************************************* 犬のからだというのは、くねくねしております。 犬ばかりでなく、猫でも、 たぶんクマでも、そして人間でも、 いきもののからだは、くねくねしている。 この、くねくねが「いきもの感」があるんですよねー。 さっぱりしていると思われている野菜や、果物でも、 実はうまいやつは、ねばねばしている。 いやな感じのねばねばじゃないんだけれど、 一筋縄ではいかないねばりけがあるんです。 さらっとはしてないです、うまい野菜は。 このねばねばも「いきもの感」なんですよね。 あと、これはいわゆる「いきもの」じゃないんですが、 昔からの道は、うねうねしています。 山の稜線なんかがそうであるように、 川の流れがそんなふうであるように、 長い蛇なんかもそうだったりするように、 道もうねうねと不規則にのたうっています。 これも、「いきもの感」と言えそうです。 なんかこう、さらっとしていたり、 かちっとしていたり、すかっとしていたり‥‥ いまの世の中は、さっぱりすっきりばっかりですが、 くねくねだの、ねばねばだの、うねうねだの、 ざらざらだの、ごつごつだのが、 ほんとは「いきもの」っぽくて、いいんじゃないか。 少し口臭もあって、やたらにくねくねしている うちの犬を見ていて、そんなことを思っていました。 おれも、もっとくねくねねばねばしたいもんだ。 ******************************************************************* ははーん。そうか。 ひとつ前の「けっこんしきで」の記事で、 「『カッコつけなくたって、カッコいいこと』が、 わかるようになってきた自分に気づきます。」 なんて書いていたのだけど、 そうして私を柔らかくほぐしてくれているのは、 こういう文章と2ヶ月前に出会っていたから、もあるのだな、と思いました。 そして今回の出会い直しで、あらためてちょっと思ったこともあります。 例えばこんなこと。 中学の数学の時間に「公式」という便利なものを知りました。 「公式」を覚えさえすれば、 それぞれの数値をあてはめさえすれば、 それらしい答えを導けるものだ、ってわかって、 おー画期的やん、すごーい、って思いました。 理科の「法則」も、そうでした。 なんて便利、って。これさえ覚えれば、って。 だからなのかな、ついつい、人生や物事にも 便利で絶対的な「公式」「法則」みたいなものを 盛んに見つけようとしてしまっていたように思います、私。 人間の生き様は、人と人との繋がり様は、そんなものじゃないだろうにね。 って、気づいたのは、いつ頃だっただろう。 社会の中で暮らす時に、あるレベルでのマナーとかエチケットは 必要ですけれど、「公式」「法則」を潜ませていても さほど使えないもののような気がします。 人生や物事の「公式」「法則」って、あながち持ち合わせない方が、 その時はその時、ケースバイケースだ、と、 肝が座っていいのかもしれないな。 状況に応じてベストな答えを出す練習もいっぱいできて、 「判断の経験値」みたいなものを積んでいけるかもしれないな。 くねくね、ねばねば、うねうね、ざらざら、ごつごつ。 そんな不規則ないきものの私たちなんですものね。 いきものの妙を楽しみたいものです、にっこり。 *画像* 雑貨屋さんで紙ひもを買いました。\298。 夏が近づくと、自然にトリコロールに目がいきます。 ちょっとプレゼント、って時に、 クラフト封筒に入れて、これでぐるぐる巻いて、荷札をさげて。 ![]() 友のblogで、 だんなさんの誕生日の日に綴った感謝の言葉がとても素敵で印象的でした。 だんなさんは、夜中起き出してお子に布団をかけてあげるのだけど、 その後、自分にもかけてくれている、と。 そして友はだんなさんに語りかけるように 「そのことをちゃんと知っているよ」と書いています。 みじかい文章の中に、ポエジーを感じるというか、 ごくごく近い存在と交わす静かな愛情というか。 感動してしまいました。 私も、だなぁ。私もなんだよ、ほんとありがたいの、夫。 例えば…いやいや友みたいにうまくさらりと書けないな、やめとこ。 何か薄っぺらくなりそう。安っぽくなりそう。 ただ単に私がダメダメ妻、極悪妻なだけじゃん、って そういう話かもしれないから(笑) こーんな、まぬけでおっぺけぺーな私を大事にしてくれて、 私はちゃんと夫にお返しできているんだろうか。 夫本人に、じゃなくても、心穏やかにいられることで、 子どもたちや周りの皆さんに、何かおすそわけができているだろうか。 優しいパワーを、いいエネルギーを、もらってるけれど、 うまく循環させているだろうか。 …とにかく感謝。こんな振り返りの機会をくれた、友にも感謝で。 *photo* 楽しい名前です、「山びこ洋品店」。 名前の由来はなんだろ。どんな洋服を売っているんだろ。 この日はお休みで残念。 じゃ、お店が開いていたら 「ごめん下さい、なんで『山びこ』なんですか?」と 聞きにいくのかって、そういうことではないけどお休みなのがとても残念。 |
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