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りんからんのずーにーさん
Lingkaran2月号

Lingkaran2月号と出会えました。
↑再び読みたいと、恋焦がれたのは、この見開き。
巡り合わせてくれた、全てのお助けに、ありがとう。

ズーニーさんが「書かれたことば」、と思い込んでいたけれど、
正確には「語られたことば」でした。
だからかぁ、よりやさしく入ってくるのは。
よりやわらかい印象なのは。

すてきな人のすてきなことば。
ココを訪れてくださる方と分け合うために、
自分が心により一層留めるために、
この見開き分の全部のお話、そのままそっくり、ココに↓
(読んでくださって、何も言わずに浸ってくださるのも、
 そのままスルー、も、すべてアリです。)

では、以下、よろしければ…ぺこっ(一礼)


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みんなが持っている
自分の本当の気持ちを
伝えられる力

 (お話・山田ズーニー  取材と文・和田紀子)

気持ちを伝えることを教わってない私たち
 もっとちゃんと気持ちを伝えたい、と思っている人は多いようです。私のところにも、自分の気持ちをことばにするという入り口のところで悩む人が助けを求めに来ます。そういう私も日々、この人にどう言えばいいのかわからないと悩んだり、相手とぶつかることもしょっちゅうあります。しんどいし、自己嫌悪にもなりますよ。そもそも私たちは、学校でも生活の中でも、自分の想いをことばにして伝えることを習ってこなかったのですから、伝えることが得意でないのは当然のことかもしれません。
 よく、伝えることがうまい人がいますが、そういう人は、家がお店をやっていて、小学校の時から店番をさせられているとか、何かしらの必要に迫られて、身内以外の人と意思疎通をしていかざるを得ない状況にあり、自然に伝えるというトレーニングをしてきた人なんですね。逆に訓練もせずに、スッと伝えられるという人を、私はこれまで見たことがありません。
 裏を返せば、今上手に伝えられないということは、これまでそういう必要に迫られることもなく、筋肉で言うならばトレーニングされずにここまできてしまった。伝わらないというのはセンスや才能でなく、伝える筋肉を使ってこなかっただけのこと。だからこれから、自分の気持ちをことばにして伝える習慣を身につけていれば大丈夫、きっと伝えられるはずです。

本当に言いたいことを自問自答して言葉にする
 まずは、「自分が本当に言いたいことは何なのか?」を自問自答していきます。言葉は氷山の一角のようなもので、その根っこには想いや価値観、生き方が横たわっています。私たちはみんな、言葉にできないやわらかいもの、温かいものを持っていて、言葉はそれを相手に届ける一つの手段にほかなりません。そこに問いかけ、言葉にならない想いを汲み上げては言葉にし、汲み上げては言葉にしていく。きちんと考えれば自分の中が整理されて言葉が引き出されていくし、このトレーニングをしていなければ、言葉になることはないんです。
 それを、一日一回でいいから言葉に出して伝えていくことも大切です。毎日梅干くらいの小さな言葉を産んでいる人は、そのうちアンパンくらいの言葉を産み、やがてスイカくらいの大きくて複雑な気持ちを含んだ言葉を産むことができます。けれど、梅干もアンパンも産めない人が、ある日突然スイカを産むことはできません。日々の積み重ねが、いつか大きな気持ちを伝えることへと繋がっていくんです。
 また、たとえ言葉に出したとしても、相手にすぐ伝わるわけでもありません。しかし、「相手に最終的に伝えたいのは“言葉”ではなく、まだ言葉にならない“想い”なのだ」というゴールさえ、見失わずに伝える姿勢を見せてゆけば、どんなに時間がかかっても、寄り道をしても、いつか伝わるはずです。人間関係が切れる危険を冒しても、憎まれても、相手に何かを届けたいというのは、その先にもっと素晴らしいものがあるから一緒に行こうよ、という言葉にならないメッセージがあるから。そういう覚悟や志のある言葉には、どれだけ時間をかけて相手のことを想い、考えたかということが自ずと表れる。すごく思って思って、考えて考えて出た言葉というものは、どんなにシンプルでも無骨でも、相手に伝わるものです。

怒りやエゴの下にあるきれいな気持ち
 その練習として、家族など身近な人には、当り散らしてもいいから自分の本当の気持ちをどんどん出していってほしい。実は人間の感情は地層のようになっていて、浅い部分から順に表へ言葉になって出て行くと思うんです。
 これはある女子学生の話です。彼女の彼が松葉杖をついて病院から帰ってきたんですね。その姿を見て、彼女は無性に腹が立ってしょうがなくて、怪我して弱っている彼に怒りをぶつけてしまったというんです。けれど、彼女は自分がいったい何に対して怒っているのかがいっこうにわからない。でも、怒ったこと自体は自分のエゴであることには違いないので、彼に謝りはしたものの、やはりどうにも釈然としない。そこで、自分自身に丁寧に問いを立ててゆき、考えた末に見えてきたものは、自分は彼にもっと頼ってほしい、彼にも頼りになる存在だと思ってほしいという気持ちだったと言うんです。彼女が彼にそれを伝えると、それが彼にもちゃん伝わって、ものすごく感動されたそうなんですね。
 この話からもわかるように、最初にイライラして当り散らす気持ち、次に「これってエゴ?」という弱い気持ちが出てくる。そうやって気持ちの地層を一つひとつ剥いでいくと、一瞬、自分のエゴが見えて怖くなるんですが、それを越えてゆくと、一番最後にあるきれいな気持ちがようやく出てくる。もし最初の怒りを出さなければ、それが蓋になって、その下にある気持ちに気が付くことさえできません。
 自分の浅い部分の感情を吐き出して、失敗しながらもあれこれ考えた人だけが、いちばん根っこにあるきれいな気持ちを言葉にして昇華できる。ぶつかって、失敗して、傷ついて。でもそれは関係が深まっているということ。だからこそ、彼女も彼とがっちりと繋がったんだと思うんです。コミュニケーションには理想郷はありません。当り散らしてもいい、失敗してもいい。これまでそういうトレーニングをしてこなかったんですから、今、それをするしかないんです。とにかく気持ちを出して考える。
 結局伝える力は、私たち一人ひとりが持っているのです。毎日小さく想いを言葉にして届けることを積み重ねてゆけば、いつかきっと自分の本当の気持ちをちゃんと伝えることができます。
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02/23 13:17 | 「読」「観」「聴」 | CM:4 | TB:0
*鈴さんへ*

このLingkaran2月号がこんなに早く手元にきてくれるとは思いもせず、
鈴さんに、記憶をたどりながら要点を話した時は、meg語で、だったので、
いまいち味わい薄いものだったろうけど、
ここで書き写す時に、さすがズーニー語は違うなぁ、と
うなりながら書いていたよ^^
(これは、keichunさんのコメントのお返事でも書いたことだけど)
ズーニーさんの、想っていること、もすごいけど、
ズーニーさんの、持っていることば、もすごい…。

>ズーニーさんの記事の最後の3行、
>優しい口調なのに、キュッと気持ちが引き締まります。

うん、うん。
いいよね、「伝わります」と言い切ってあって。
(ライターさんの書き方も上手なんだろうけど。)
さぁ、行きなさい、って、
ぽんと背中を押されて見送ってもらってる感じでもあり、
はい、が、がんばります、って、
おずおずと進むしかない感じ、でもあるような?(笑)

>「だから読み取ってね~」なんて、相手の方に甘えていたのかもしれません。

なるほど…。
これは私も耳が痛く、自分についても気づかせてもらえたよ、
鈴さん、ありがと。

私の場合、相手によっては、
最初から伝えなくてもいいかぁ、って黙ってしまうことがよくある…。
だからか、本当の私の思いと違うところで、
私という人間を理解されてしまうこともあってね。
それがよい方向での理解、ならいいけど、
あまり嬉しくない理解、だったりすると、ひとり悲しんでいる…。
「自分のこと、わかってもらえてると思ってたのになー」って。
伝えない自分が原因なのに。
わかってもらっておいてほしいなら、伝えればいいのにねぇ。
でも、まぁ、違うように理解されている、と気づいた時点で、
じゃあ、伝え始めればいい、ってそれだけの話かな(笑)

鈴さんとは以前に、お互いの母の話をしたこと、あったよね^^
親の対応、親の振る舞い、親のキャラ…
そういうものって、想像以上の長さで、
娘に(子どもに)影響するものだよね。
身内のことだし、封印してしまいがちだけど、
こんな機会に、時々解いてあげると、
ちょっと気持ちが軽くなるの、すごーーーくわかるよ^^
(あぁ、このことでは、たくさん話したいことがぁ…ムズムズ・笑)

鈴さん、ありがとね☆
megさん、ありがとうございます。
気になったリンカランの記事、
まさか、すぐに全文読めると思っていませんでした。
嬉しいです!

megさんの記事で、少し予習出来ていたからか、
ズーニーさんのお話、スーーーッと心に入ってきます。
多分、何の予習も無いまま、このページを目にしていたら、
深いところまで読み取れなかったかも知れません。

ズーニーさんの記事の最後の3行、
優しい口調なのに、キュッと気持ちが引き締まります。
「会話で伝え下手」な私だと、思っていました。そう公言していました。
(↓megさんが「ソフトな伝え上手」って言って下さったこと、
  すごく励まされました。ありがとう。)
でも、これは言い訳し続けていただけかも知れません。
トレーニングという努力をしないで、
「だから読み取ってね~」なんて、相手の方に甘えていたのかもしれません。

megさんのコメントにあった通り、
このブログもトレーニングの場になりますね。
ズーニーさんの記事の影響があったのか・・・自分でも分かりませんが、
ブログでは殆ど書くことのなかった、自分の親についての話が書きたくなり、
少しつぶやいてみました。
スルスル~と出てきた自分の気持ち、何だか今、気持ち良いです。

想いを汲み上げて言葉にする・・・
本当に小さな小さなことからだけど、意識してみようと思います。
*けいちゅんさんへ*

けいちゅんさん、こちらこそサンキュ^^

けいちゅんさん、私ね、書き写していた時に気づいたのだけど、
私、ズーニーさんの想い、伝えたいこと、そのものにも、
モチロン感銘を受けたのだけど、
それ以外にも、それを伝えるために、
ズーニーさんがどんなことばを使っているか、ってところにも、
ものすごく興味深く思っていたことに気づいたの。
例えば「梅干とアンパンとスイカ」を産む話…。
もう、なんて上手いんだろーーーって!

けいちゅんさんが日々産んでいるものは、
どのくらいの大きさなのか、形容しがたいくらいだけれど、
確実に、着実に、けいちゅんさんは産み続けていて、
いろんなことを伝え、発信している…。
そんなけいちゅんさんの「引っかった箇所」、
とっても興味深かったなぁ。
なるほど、なるほど、と、読ませてもらったよー!

>言葉が少なくても伝わる安心感。
>たくさん(言葉を)もらえなくても満たされる気持ち。

うーん、いいですねぇ。あったかい。
(そうだっ!思い出したっ!
 「大好き、なんですって。」の記事に、
 ゆっくりコメントしたいと思っていたので、後でまたおじゃましまぁす♪)

…けいちゅんさんは、だんなさんとの糸を太くするために、
真摯にがんばってきたよねぇ、ほんと。
…なでなで。

って、ごめーん、トシくってる分、オネエチャンぶってますが(笑)、
実は私も、松葉杖の彼の、彼女みたいな言動、まさに何度も経験あり。
学生時代、にはさんざんやったし、
つい2年前くらいにも1度あったのはっきりと記憶していて、はずかしー!(笑)

それにしても、トレーニングの努力って本当に裏切らないものだよね。
その甲斐あって、けいちゅんさんとだんなさんの間に
今の安心できるつながりが培われた…あぁ、ばんざい!って思うのと、
きっとだんなさんも、けいちゅんさんと同じように
トレーニングで筋力upしているんだろうと、想像してます^^

>>考えないのは、なんにもとらわれない、自然・天然の状態ではなく。
>>体内にインスピレーションのベンピを起こすこと。
(2000-05-17  ~「おとなの小論文」って何? ~より)

おぉぉぉぉ。名言中の名言。
けいちゅんさんの言うとおり、
ズーニーさんは「考えていいんだよ」を表現し続けてくれている…。
もうここまでくると「体現してくれている」とも言えるのかなぁ。

ここのところ、ズーニーさんの本を読み続けています。
(「17才は2回くる」が特にオモシロイ!)
私の中のズーニーさんブーム、もう少し続きそうで、
ズーニーさんを私の中にできるだけ取り込んでみようと思いまーす^^
megさん、ありがとう。

次女を連れてはなかなか本屋さんで
物色&立ち読み(!)出来ないけいちゅんは
本当に嬉しいです。

こころに引っかかった箇所は


>逆に訓練もせずに、スッと伝えられるという人を、私はこれまで見たことがありません。

>伝わらないというのはセンスや才能でなく

>その練習として、家族など身近な人には、当り散らしてもいいから自分の本当の気持ちをどんどん出していってほしい。

>コミュニケーションには理想郷はありません。
>当り散らしてもいい、失敗してもいい。

わたしはよくブログに夫のことも書いていて
夫婦円満、良いことね
って、見えるようですが。

ホントここまでくるのって
いろいろ苦労しましたもん。。。って
思ってます。
以前megさんにその辺のところを察していただいたことがあり
ホントに嬉しかったんですよ。

身近な人とは分かりあいたい、繋がっていたい
分かってほしい、知ってほしい。
口数の少ない夫と言いたいことを汲み取るのは
本当に(さいしょは)難しかった。

何度もぶつかって投げかけて
投げ返されて。
よけられたり、追われたりしながら
今はほんとうに付き合いやすくなりました。

言葉が少なくても伝わる安心感。
たくさん(言葉を)もらえなくても満たされる気持ち。

思えばトレーニングの場は家庭でした。
母は相づちも打ってくれない表情の固いひとでしたので
なに言っても返ってこなかったのは
寂しくもありましたが
訓練になっていたような気がします。

その筋肉も結婚してからは
ちょっと衰えてきてたかな・・・
人前で話すのが臆病になってきた時期もありました。

ズーニーさんの言葉で
わたしの中で一貫してくすぐられる想いは
「考えていいんだよ」ってこと。


>考えないのは、なんにもとらわれない、自然・天然の状態ではなく。
>体内にインスピレーションのベンピを起こすこと。
(2000-05-17  ~「おとなの小論文」って何? ~より)

ここに尽きます。
考えすぎだと変な目で見られたことも多かったのに
頭ガッツーン!って素敵なめまいをもらった言葉。

ズーニーさんの本
さっそく図書館で予約してきました^^
楽しみです。

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