
「陰日向に咲く」…観ました。
短い感想文。
素直に、人間っていいよねぇ、って思えました。
人間は誰しも、弱くてもろくて、それでいいのだ、って思いました。
でも絶対、それぞれの人の中の、核、みたいなところに、
純粋さ、とか、きれいなもの、があって、
たとえ時間はかかったとしても、そこの清い部分が通じ合うことで、
どんな愚かな行いや感情にも、「ゆるし」が生まれ、
そこのところが伝わり合うことで、
触れ合う喜びも生まれるのだな、って思いました。
人気お笑い芸人のビギナーズラック的小悦、の映画化かぁ、
観てやろうじゃないの、お手並み拝見…って、
そこまでクールに、っていうのか、
真剣に評価しようとしたり、って相対する気持ち、
のっけからさらさらなく(私、そこまで「映画通」じゃないし、ね)、
力まずに映画館のシートにゆったり身を預けて観た、この映画。
だから、なのか、だけど、なのか、
素直にいっぱい泣いて、笑って、切なくもなって、
喜怒哀楽とか、私の中のいろんな種類の感情を、
ゆっさゆっさ揺さぶってもらって、あぁ気持ちいい!って、
観終わった後に思いました。
この映画をつくった人たちの術中に、まんまとはまった、のかもしれないし、
でも、そういう誰かが仕掛けた落とし穴みたいなものに
わかっててはまる、っていう、そんな自分の中の単純なところ、
結構気に入ってたりもして。
(いい人ぶってまぁす・笑)
寝る前になにげに読み直していた五木氏の「人間の関係」。
最後の方の、東大入学式での講演でのエピソードから
(ご本人は、講演は大失敗、とおっしゃってます…)
映画の感想と重ねて、なるほど、と思った文章、抜書き↓
映画のおかげで、わかり直せました。
腑に落ち直すこと、できました。
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この入学式での話のなかで、ぼくが言いたかったのは、たった一つのことでした。
人間はいいかげんで、愚かしい存在だが、
それでも信じられるところもあるよ、ということです。
百パーセント信じられるわけではない。
また百パーセントの人間不信もまちがっています。
九十五パーセント信じられなくても、
五パーセントぐらいは信じていいのではないか。
ぼくはそう感じています。
その五パーセントの有無が、きっと大事なところだと思うのです。
荒涼とした人間不信と、自己嫌悪の深い淵をみつめて、
私たちは迷いながら生きていかなければなりません。
いやであっても、 納得できなくても、そうしなければならないのです。
その暗闇のなかに、遠く、ちいさな灯影が見える。
明かりがかすかに揺れている。
それをみつけたとき、私たちはどれほど励まされ、
勇気づけられることでしょうか。
人間は信じられるか。それとも信じられないか。
そんなことを議論しても仕方がない。
ほんの小指の先ほどの信頼でも、
信じられるものがあるということが重要なのです。
ぼくは、その五パーセントを信じて、きょうまで生きてきました。
それ以上の信頼をもとめるなんて、贅沢すぎるじゃないか、という声が、
いつも頭の奥に聞こえるような気がしてならないのです。
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観るもの、読むもの、感じたこと、見たこと、聞いたこと。
繋がる時には繋がるものです。
というか、「繋げ好き」、なだけかなぁ(笑)