
ここ2週間ばかし、頭から離れないコラムがあります。
ほぼ日刊イトイ新聞の
ダーリンコラム、2006-12-11付、
「ちょっと低いところで落ち合おう」です。
ガツン!…でもないな、コツン、と軽い衝撃。
「いたきもちいい」がずっと続いています。
コラムをインプットしてからこの2週間、頭のどこかにあって、
ずっと離れませんでした。
だからこそと、ここに記事として書き留めておこうって、
何度かアウトプットにトライしましたが、書けずにいました、ずっと。
その理由はこうじゃないかと、思いました。
今回の内容を自分の中で消化し、味わった結果、
味がどうだった、こうだった、私は好きな味だ、どうだ、などの、
そんな評価や感想を言葉にしたい、書き留めておきたい、とは
私はちっとも思っていない…ということ。
イトイさんがコラムの中で述べたことが「全て」で、
私には、他に言及することなど何ひとつ無いのでしょう。
多分、2週間頭の隅っこに置いたままにして、私がしたかったのは、
この「ちょっと低いところで落ち合う」という、
(自分の中にあると思っていて、結局無かった)少し異種の細胞を、
イトイさんのところからから私の中に移植し、
しっかり自分の細胞と同化させる、ということかな、と思ったのです。
その生着のための2週間だったのかな、と思ったのでした。
特にすきなのが↓の部分。
*****************************************************************おおげさになるけれど、
おそらく、人間の歴史も「ちょっと低いところ」を
延々と流れてきた大河のようなものなのだと思う。
「わかってもらおうとすること」と
「わかろうとすること」、
このふたつがなかったら、面倒もないだろうけれど、
明らかに血のめぐりが悪くなって、死に近づいていく。
生きているというのは、絶えざる更新なのだから、
面倒でもイヤでも変化の流れを必要としているのだ。
それを考えたら、「ちょっと低いところ」を
バカにしてイヤがっているわけにはいかないだろう。
(中 略)
なにがなんでも「高いところ」を尊しとする考えは、
けっこう魅力的に映るものだ。
でも、その尊さを守ろうとして、
息を止めてしまうことよりも、
ぼくらは「ちょっと低いところ」で、
異種と、異文化と、異人種と、いっしょに歩いていくことが
大事なのではないだろうか。
おそらく、そのための勇気なんかいらない。
あらゆる時代の「庶民」が、ごくごくふつうに
やってきたことなのだから。
*****************************************************************自分が「高い」とか、そういうことではない。
ただ、人と触れ合う時、
何が何でも「高み」を目指してと、踏ん張るより、
わかり合う部分が少なくても、それはそれで、と認めて、
そういうものだと、にっこり笑うことかな、と。
…お、2週間、どうにもこうにも言葉にならなかったのに、
やっと少し、なりました。
ようやく、私の中でイトイさんからもらった細胞が根付いたのかな。
*画像*
どうにもこうにも足元が冷えて、
S.MILEのおうちパンツを買いました。
ひざかけのような、厚手フリース地で、
チェック柄も◎!買って正解でした。
たっぷりなので、Gパンの上からだって履けそう。