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掃きそうじ


わたしの毎朝の玄関掃除の友、
ホウキチリトリセットと、赤の屑入れ。

春から始まった、次女の早朝通学。
そのおかげで、早起き。
見送ったその流れで、玄関まわりを掃く、という
このちっさなルーチンワークを気に入って続けています。

掃く、というか、掃き清める。きもちいい。
ささやかなことでも、こうして毎日続けていることがあるって、ちょっといい。

問題は冬だな。
寒くてもくじけずに続けられればホンモノ。
と、今から自分にプレッシャーを。


話、変わります。

掃き掃除のことを書いていたら、思い出したことがありまして。
そして、あれ、まただなぁ、と思いました。
掃き掃除の何が『また』なのかって…
胡散臭いような、こじつけのような話なのですけれど。

掃き掃除バナシとこじつけたくてしかたがないのは、
友Nと目白を散歩の途中での会話。今年の2月のこと。
あと少しで次女の中学入学、という頃で、
その春から、わたしの母業の中身や質や生活リズムが変わることが予測され、
わたしはどうするのか、どうしたいのか、シゴトする、しない、の話になったのでした。

おしゃべりの中でわたしがNに話したのは

「いろいろな面で、何かシゴトを始めたほうがよい、と、ささやく自分がいて。
 でも、もう少し家族のサポーターを専業にしようよ、と、ささやく自分もいて。
 今は、専業サポーター推しの声のほうが少し大きく響いてきて、そちらにキモチが傾く。
 夫もそちらを望んでいるからかな。
 そうやってここ1、2年過ごして、しばらくしてやっぱりシゴトを、ってなった時に、
 もうできるシゴトなんてほとんどないかもしれない、年齢でも体力でも。
 人生設計的に言えば、賢くない選択だろうけど、
 毎日公的なバショでがんばるわたし以外の4人をわたしなりにサポートして、
 4人が、おヒトのため、まわりのため、自分のために、
 より良く生きようとすることを応援するのが、
 今のわたしの役まわりのような、そんな気がする。
 それが、間接的ではあるけれど、わたしなりの小さな社会貢献だと思っている。
 のんびりどっしりニコニコと4人の基地を守るためにも、
 わたし自身が、もう少し健康的なリズムで、ルーチンに毎日を送れたらいいな。
 例えば、隠居したおじいさん、おばあさんが、
 早起きして、先ず玄関を掃いて、それから午前中に買い物に出かけて、
 午後にお三時を食べて、ひとねむりして、
 夕飯こさえて、お風呂に入って床に就く…ように。
 そんなふうな、小さくてもゆるぎない、
 なんてことないけど安定感をもった核のようなものを、
 自分の中に作っていけたらいいなぁ。」

肝心の掃き掃除につながる部分だけ書いたらいいのに、
端折ってもいいような枝葉の部分、こーんもり書いています↑。
でも、書けてよかった。
職業として専業主婦を選択してきているわたしは正直、
どこかで常々、わずかの迷いがないわけではなく、
そんな中での柔らかい決意みたいなものを、ここに書けたことはよかった。

話戻して、掃き掃除。
Nに話す中で
「おじいさんおばあさんのように早起きして、玄関を掃いて」
と2月のわたしは望んていて、
だから、実際にこの春からそう成り続けているよ、とつながらせたいわけなんです。

そして、わたしの中で
そういう「望んだから成っているよ」と思い当たることが他にもふんだんにあって、
今回のことも、例に漏れずで『まただ』と思った、という…。

つまり、わたしがずっと感じ続けてきているのはこういうこと。
自分が望むように成っていく。
自分が望まないようには成っていかない。
それは、よいこと、よくないこと、ひっくるめて、で、
わたしの今、をつくっているのは、まぎれもなくわたしなんだなぁ、ということ。

「自分の中では、わりかし確かな思いなのに、
ことばで形にすると、輪郭がぼんやり、説得力がなくなって、
誰かとそう簡単には共有できないこと」ってあって、
今回はまさにそれだと思っていて、
掃き掃除の例も、わたしの中の他の例も、どれもきっと、
望むように成るのだ、ということを
誰かにわかってもらうために挙げるには弱い例。
加えて、わたしの説明能力のなさもあって、
うまく伝わってはいかないだろうこと、覚悟して書いています。
思いこみじゃね?な話だし、ね。
見えないチカラ、的な話でもあって、プンと胡散臭さがにおうし、ね。

でもそのわりに、わたしの中ではどんどん真実味を帯びていっているのは事実。
望んだから成る、というのはもちろん、
いいことだけじゃない、嬉しくないことだって、
その先の気づきや成長を自分が望んだから成った、って思っています。
もし意識上で望んだ覚えがなくても、他ならぬわたしの魂が望んだ、と。

まとめる。
単純だと思う、わたしって。うん。
正確に言えば、単純になってきているんだと思う、わたし。
複雑な部分がどんどんそぎ取られていっている、というか。
脳の老化にはシンプル思考がイチバン・笑。

なので、いいのです、単純で。単純が。
ウサンクサ子を楽しみまっす。


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09/21 05:53 | 「住」 | CM:2
*toucoさん*

わー、わかってくれてウレシイ!
うなずいてくれてアリガトウ!
単純なわたしなので、もうそれは単純に、喜んじゃっていますよー。

でもね、ちょっと思っていたのです、実は。
時々わたしもtoucoさんのblogにお邪魔するのだけど、
toucoさんにシンパシーを勝手に感じているので、
きっとtoucoさんとなら共有できるんじゃないか…なんて。
お互い、ウサンクサ子路線、この先も極めましょー・笑。

わたしも、toucoさんの、正直な文章が大好きです♪
キリリとして深くて愛と光があって。

blogっていいですよねー。
とりたてて誰かに話すようじゃないことも、
王様の耳はロバの耳ぃー!とばかりに吠えたり叫んだり、
またぼそっとつぶやいたりできるから。
でも読み手を想定していることで、
ちょっとだけ冷静で客観的になる分、キモチの整理もできるから(◔‿◔)
megさん、こんにちわ。

なにがわかる?と言われたら、
上手く説明できないけれど、
読みながら、わかる、わかると心の中で、
大きくうなずいていました。

人それぞれの役割なんて書いてしまうと、
これまた胡散臭いですが(汗)
なるようになるというか、
自分の思いのその先に、
明日が待ってくれているようにこの頃感じます。

そして、結局、私は超シンプルですが、
megさんの書く言葉が大好きなのです。
読んでるだけで、なんだかふっと深呼吸をして、
背伸びをしたような気になります。


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