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じかくすること
周りのお人と関わらせてもらいながら日々を送っていると、
お相手のことば、行動に
「ほー、そうくるかぁ」 とか、
「くいつくポイントってそこなんだぁ…」 とか、
ハテナ?、なキモチをもつこと、よくあります。

その場面場面で、自分がどんくらい関わってるか、
こちらにも非があって、とか、なくて、とか、
いろんなケースでね、あります。

お相手にハテナ?、の段階で留まって終わり、ならいいんだけど、
「おかしいだろ、そうくるのは」 とか、
「なんでそうなるかなぁ、まったくぅ」 とか、
お相手を裁く、ような方向に自分の感情が進んじゃって、
あ、いかんいかん、いかんですよ、と思う。
でも、自分の中の正直な情、なのだしね、
どんな思いも、なかったことにはしない、と決めているしね、
ではでは、これをどう“おしまい”にするべか、どうすっぺ?
なんてね、そんなふうで、
ココロん中でぐるぐるし始めることがあります。

あたしの場合は、そういう時
●夫に話して、話しながら自分のキモチを整理する
●何かのヨミモノを読んで、ココロの幅を広げようとしてみる
なんてことをしながら、
なぁんとなく「ぐるぐる」をやり過ごし、スルーし、
解決できたダロウ、と、その時は思う…んだけど、
それはただ、思いこんでるだけ、のよう。
というのは、何かのきっかけで
“同じような感情の「ぐるぐる」”がやってきた時、
あぁ、あの時うまくスルーできてなかったんだ、あたし、
って分かること、よぉくあるから。

その仕組みって、こうだったのか、と思わせてくれたのは、
ズーニーさんの文章 自分のループを抜け出す でした。
「自分のループ」に、納得。
「自分の中のシュレッダー」という解釈に、なるほど。

ズーニーさんの文章、
すぅっとあたしん中に入って、あっという間に溶け込んで、こなれて、消化。
そんな、あたし仕様のとりこみっぷり、吸収っぷりを
アウトプットしてみますと…

あたしが、夫に話すやら、ヨミモノ読むやらして、
自分の中のシュレッダーにかけた思い。
それらって、切り刻まれた、という状態なだけで、
ダストボックスに溜まっているまま。
刻まれてはいるけれど、自分の中に残り続ける。
それは、再び解読すんのが難しいという状態なだけで、
思いの「種」みたいなもんが、残り続ける。ほぼずっと。
そうだよね、だから、人って、そう変わらないんだよ。
「種」みたいなもんが残り続け、
変わらずあるパターンを持ち続けるよ。
そんな「自分のループ」から逃れにくいけど、でもね、方法はあるよ。
先ずは、自分のパターンをたどってみるといいよ。
思いの「種」の正体、根っこにあるもの、が分かるよ。
それをじっと見つめて、あぁ、これだったんだって、
「分かって」みてごらん。
「自覚して」ごらん。
ほぉら、いつの間にか、逃れらんないと思っていた
「自分のループ」の外へ出ているよ。
自分の“ほんとのところの思い”、
「分かる」こと、「自覚する」こと、それだけでいいんだよ。


…ってね、再び自分に言い聞かせるように、書いてみています。
日々のおまじないは、「分かる」「自覚」。ってね。

そういえば、
小さい時に寂しさを強く感じて、
大人になって、その部分の“渇き”にしんどさを覚える、ってことがある、と。
いわゆる、インナーチャイルド、とか、そんな類いの感傷。
それでも、そういう自分の渇いたところを見つめてあげて、
寂しかったね、悲しかったね、って、
きちんと認めて、「自覚して」、「分かって」あげることで、
“次”に行けるんだってね。
同じだね。
“進む”ためには、先ず、自覚すること、分かること、ってね。

ソクラテスが言った「無知の知」になぞらえたら、
無意識の意識、とか、
無自覚の自覚、とか?

自覚すること、分かること。
これをキーワードに、やってみるよー。
そんなこと、思っている9月の終わりだよー。
秋の入口のはずなのに、すんごく寒いんだよー。
フリースとレッグウォーマーとひざかけにくるまれてるよー。


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09/27 10:10 | 「想」
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