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おうこく
少し前に読んだ、よしもとばなな著の「王国」その1、その2、その3。
最近のばなな作品に比べたら、荒削りな感じもするんだけど、
それがまた新鮮な感じ、しました。

ばななサンの作品ってさ、
眠って、起きて、食べて、排泄して、消費して、関わって…
という、ひととおりの、生きるための営み、そのスキマ、スキマで、
ちっさく振れている“心の振り子”についての描写が、ほんとうまい。

通り過ぎて、やり過ごしてしまいそうな、かすかーな振れだっていうのに、
そういうのんをちゃあんと見逃さずに、
ひょいと拾い上げて、
それを両手の中で大事にあっためて、
んで、ほらね、って見せてくれてる感じ。

「王国」を、すんごい勢いで読んでからずぅっと、
あたしのアタマから、それともココロから、離れない部分、いくつかあるんだけど、
そのひとつは、王国その2の中の、ある一節。
で、書き留めます。

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干していた薬草を取り込むとき、遠方から来た手紙を開けるとき、
地元の人の差し入れの芋がいっぱいにつまった箱を開けるとき、
私ががつがつ急いでいると、おばあちゃんはよく私を厳しくしかった。
「そうやって扱われたものには、荒っぽい色がついてしまう。
 そして、一回つくとなかなか取れなくなって、
 人のほうがそれに操られるまでに力を持ってしまう。
 はじめのところが肝心なんだよ。」
と言うのだった。
子供の頃はせっかちで
「どうやって開けたって中身は一緒だよ」と内心思っていたのだが、
もしかして違うのかもしれない、と思うようになってきたのは、
少しだけ薬草茶の仕事がわかるようになってきてからだった。
霊的な深い理由があるのかもしれないが、
そこのところはよくわからない。
ただ、自分がそれを雑に扱った記憶、というのがそのものと自分の間にしみこんで、
決して取れなくなってしまうのは確かなような感じがしたのだ。
***********************************************************************************

…この、おばあちゃんの教えに触れた、短い文章が、
なんで、あたしのアタマ、ココロに残るんだろ、って不思議だったので、
少し考えてみたら、ふたつばかり。

● 文中の「人の方がそれに操られる」とか「霊的な深い理由」とか…
  アニミズムってのか、見えないチカラ、ってのか、そこのあたりに畏敬の念。

●“モノ”とどうやって出会うか、って、大きいんだよ、って
  私自身が強く信じているからかな。
  そういや、“ヒト”の印象は、結構塗り替えられていっちゃうけど、
  “モノ”が“自分のモノ”になった最初の記憶って、
  更新されずにいつまでも残るね。


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06/16 00:45 | 「読」「観」「聴」
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