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きょうもありがとう
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![]() ごはんをつくる。 ひと手間かけるとやっぱり美味しい。 野菜の面取り、切り方、素揚げ、塩、とか、そんなこと。 でも手抜きもいっぱいする。 こっそりの手抜きもあるし、あからさまな手抜きも、言い訳と一緒にする。 「美味しい」と言われれば素直に嬉しい。 でも、美味しかったら自分で先ず「うまっ」とか、先に言う。 洗濯や掃除をして、気持ちいい。 ちょっと、ラクチンに、少し、楽しみながらできるよう、アタマも使う。 ホコリが目についたら、さっと掃除できるよう、ペーパーモップの定位置を変えてみる。 ほうきのかけひもは革ひもで、釘も、アイアンのぶっといの、とかね。 はき終わってほうきをかける時、ちょっと嬉しかったり。 着るもの。 毎朝、何を着ようか考える。今日はどんな気分かな。 この初夏からは白シャツばかり着ている。 ガーゼ、ブロード、麻、オックスフォード。 襟はあってもなくても、ボタンを1こか2こあけて。 買い物に出る。 たまに、好きな花屋さんで花を少し買う。 コーヒーはぜいたくすることもあるけど、見切り品もかごにたくさん入れる。 子どもと。 いってらっしゃいとおかえりを言って、 送り迎えも時々して、保護者としてのもろもろもする。 週末に試合があれば、体育会系の血が騒ぎ、熱く応援もする。 夫と。 時間と睡魔の許す限り話す。触れ合う。議論もする。 この時間が、それぞれのリセットになることを、 互いのエネルギーの交換のし合いになることを、 ココロ、カラダ、タマシイは知っている気がする。 深い、浅い、近い、遠い、いろんな距離の人と、友と、 いろんなご縁の人と交わる、つながる、考える、楽しむ。 ソファーで、ベッドで、昼寝も時々。 ひとりの昼ごはんは、買い物に行ったついでに調達したりも。 かんぴょう巻きと鉄火巻きとこしあんぱんとか、そんなの。 炭水化物ばかりだなぁ。 …これが私の毎日です。 誰かが喜んでくれたら、嬉しいし、 誰かにほめてもらえたら、そりゃあ嬉しいし。 確かに、誰かに認められたら嬉しいんだけども、 「それならおまえさん、 誰かに認めてもらえなかったら、自分を認めてあげらんないのかい」 ってこと。 ここ。ここに、私の意識がフォーカスしている、最近。 誰かの評価が大事なんじゃなくって、先ずは自分で自分を認めよう、って。 ただね、 自分が自分を認めていれば、それでもうよいの、という、 自分勝手なような、閉鎖的なような匂いを漂わせたいのじゃあなく、 何より自分が自分を認めて、そこから広がろう、はじめよう、という、 ゼロ地点の土台固め、みたいな… 意識したいのはそんなこと。 先ず、自分が選択したことを楽しんでいるかどうか。 先ず、自分の気持ちはどうか。欲しているか、いないか。 先ず、自分が自分を認めているかどうか。 「自己満足」しているかどうか。 …そこを先ず自分に問おう。 楽しんでいなかったり、 欲していなかったり、 認めていなかったり、 「自己満足」していなかったりしたら、、 楽しむように、欲するように、認めるように、満足するように、 自分をコントロールしたり、軌道修正したりしよう。 そうやって先ずは、 自分で、その時その時の自分に誇りを持つこと、ありき。 そこから、発する。広げる。進んでいく。 ジコマン、自己満足、って、 内輪的な、 謙遜する時に使うような、 開いているか閉じているかといえば、閉じているような、 そんなイメージだったけど、 自分に満足するって、とっても大事なことだよねぇ。 同じ角度から照らすと、 ジコチュー、自己中心、ってのも、ある意味悪くないとことばだと思えてくる。 確かに「あのヒト、ジコチューよねぇ」と言われるようなヒトを、 私は、まぁ、そういうヒトもアリかもなと思ったり、 逆にちょっと羨ましいと思ったりしてきた理由が、少しわかった気がシマス。 *photo* 赤いチリトリ、高光俊信さんの。 昨冬、ecokaから我が家に。 古めかしいものの赤い色って、魅力的。 といっても、これは古いものではないけれど。
10/16 00:32 | 「住」 |
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