
ちょうどいい音量でボサノヴァが流れ、
古いけど、いえ、古いからこそ、座るヒトの体になじむ椅子たち。
タコライスが美味しく、居心地のよいこのcafeには、
時々ひとりで、時々夫と、時々友と。
この日は、友と待ち合わせで。
私の席からお店の中をぼーっと眺めて、
この辛子色のモケモケソファ、かわいいなぁ、絵になるわぁ、って。
けど、向こうに見える腰壁の木肌は、もーし私がオーナーだったら、
濃い茶の塗料とかオイルで塗装するかなぁ、惜しい!とか(笑)
でもね、でもね、思ったのですよ。
そういう惜しい!と思う不完全さ、というか、
(あくまで私の勝手な好みにおいての不完全さ、なだけだけど)
100パOKじゃない、というか、
私がここの場所に(勝手に感じる)『欠け』みたいものは、
案外大事な『欠け』なんじゃないかな、と。
ここの場所が、私に居心地のよさをもたらしてくれるもの…
その要因がいくつかあるとして、
この『欠け』感は、その要因のひとつになっているんだろうな、と。
もし、自分の好みで完璧に、100パかためられた中にいる自分を想像したとして、
ウハウハ興奮するよねぇ。
確かに嬉しいけど、落ち着く、というのではないかなぁ。
力を抜いて、ぼんやりとは、なーんかできないかもなぁ、って思うもの(笑)
という、かなり私よがりな感覚から、
『欠け』や『抜け』の妙、みたいなものを思ったわけで。
愛すべき不完全さ、ばんざい!という感じで。
ヒトに脱力とか安心をもたらすもの。
空間やモノだけではなく、人間にも通じるような気もします。