
古いサッシ窓のガラス。
だいどこの流し正面にある、北の窓の、です。
昭和の家の、こんなところがすきです。
なべかまを、水筒3本を、ゴシゴシと洗いながら、
いろんな四角たちが織り成すこのガラスの模様を、眺めています。
時には、うっとりと。
時には、ぼーっと考え事をしながら。
ぼーっと考えていること、例えばこんなこと。
仕事、も含めて、私のこれからのこと、とか。
大げさに言うなら、
40を過ぎ、折り返した感のある今後の人生、どう生きるか、みたいな。
私の心に、部屋が幾つかあるとして。
「自問の部屋」なんてのもあるとして。
その部屋の扉、久しぶりに開けて、考えています。
その自問部屋、の中に、また更に小部屋。
「私が好きなこと」と書かれた扉です。
ただ、この小部屋は、長いこと開けられずにいて、
居心地があまりよくない、というのか…
うーん、かっこつけて部屋で例えたけど、これじゃぴたっとこないな、むむむ。
というか、好きなものを考える思考回路が、
好きなものを自問する思考の道筋が、
私の中にできてない、感じです。
そ。そういう感じ。
ここんところは、そういう習慣が、ほとんどなくきていた、って。
おさなごを育てる、というのは、
できる範囲で、だけど、相手に応じる、というのか、
自分の呼吸やリズムを合わせること、と私は思っていて、
私の場合、3人分の子育てで10数年、
合わせる、応じる、受ける、ことに
慣れてしまってきたのかもしれないです。
(じゃ、その10数年以前は、「受け」な人生ではなかったのか、
と問われれば、それはそれで流されてきたように思えなくもないし、
確固たる自信はないのだけどね、へへへ。)
ここ10数年で、私のもとにめぐって来て下さった立場やお役目や出会い。
もうそれは、ただただ、ありがたいありがたいご縁に他ならない…。
だけど、だけど。
さぁ、これからは!と思うのです。
そんなありがたいご縁の数々に、
「今度は自分の方からめぐり合ったるどー!」と。
そんな「探し当てた感」のあるご縁も、
むこうからきて下さったご縁も、
同じように大事にしながら、亀スピードだけど、前に進もうと思うのです。
もちろん、子育てに終わりはなく、まだまだ母親修行は続くのだけど、
手をかける分量より、見守る分量が増えた、うちの3人たちなので、
そろそろ、自分探し。
で、どっちに進もっか、あっちとこっち行きつ戻りつしてみようか、と、
自問している今、というわけで。
一方で、贅沢だぞ、自分!っても、思っていて。
自問の扉を開けて、「私が好きなこと」を探索できるなんて、
たくさんのお助けのおかげ様で、どうにかここまでこれているから。
見えるチカラ、見えないチカラに支えられているおかげ様。
堂々巡り、答えも出ぬまま、出さぬまま、
私の好きなことはなんだろ、って、
ふっと考える時間をもてるありがたさ、かみしめかみしめ、
もう少しさまよってみます。