きょうもありがとう
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![]() 「だいどころをちゃんと…」の気持ち、キープ中。 今日は買いもんに行ったら、 春キャベツのさわやかグリーンにそそられました。 なので夕食は、ケンタロウレシピ(byオレンジページ)で、 「キャベツと鶏肉のしょうがじょうゆあえ」を。 あと2品は、素揚げした里芋のにっころがしと、 ブロッコリーとクルクルパスタのトマト炒め。大皿でどーんと。 野菜いっぱい、カラダがよろこびます。 乱れていた食生活のためか、忙しかった3月の疲れが出たのか、 私、どうも排尿の調子がよろしくない。残尿感と排尿痛。 1週間近く様子を見たけど、よくなる兆しがないので泌尿器科へ。 ネットで調べた予想は当っていて、膀胱炎でした。 尿検査と膀胱あたりのエコーで診察は簡単に終わり。 下半身、脱ぐのか?やっぱ脱がんといかんのか?と 心配していたので、ほっとしました(笑) 薬をのめばすぐによくなるよう。 カラダは自分という魂の乗り物で、ガソリンを入れたり(食事)、 走りっぱなしにならないようエンジンを休ませたり(休養)しなきゃ… という話、どこで聞いたんだったか。 今日は、megカーもメンテナンス。 いつもがんばって走ってくれていることにほんとに感謝だよねぇ。
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![]() 今回のku:nelの特集は、タイムリーでした。 「料理上手の台所。」 最近、おサボりしてるんです、料理。いけませんね。 おなかがふくれればいいだろ、という、そんな感じ。 医食同源。家族の健康をあずかる身だというのにね、いけません。 タイトルのように上手ではなくとも、きちんと料理をつくる。 それが今の私には欠けている…。 そのためにはバタバタな台所を使いやすくせねば、と。 「カタチからハイル」がモットーなので(笑) 参考書代わりにこの特集を読んだというわけで。 めざすのは、キッチンというより、だいどこ。 使い込まれて面がとれて傷のいっぱい入ったまな板の上に ながたんがおいてあって、 竹ざるの上にはゆであがった菜っ葉があげてある、 そんなのが似合う、だいどこ。 ku:nelには、そんなだいどこのお手本があって、 読みごたえアリアリでした。 p10を読んだらビックリ。 渡辺有子さんの力強い後姿、背中や耳のあたりの後頭部、髪型、 私にそっくり、夫もビックリ(笑) (しかも、私が欲しい昭和風な物干し場がそこにはありました。) とにかく、ちゃんとしよ。だいどこも、料理も。 転がるペットボトルをつぶしたり、ガス台まわりを丁寧にふいたり、 ずっとちゃわんかごに入ってそのままのお弁当箱を棚にしまったり。 幾日もほっておいたこと、今日はそんなことから。 ![]() ここは、うちのだいどこで好きって思うバショ。 オクで手に入れた、蛇腹式の布巾干し。幅も150cmでたっぷり干せる。 こういうバショを増やして、 だいどこにいる時間が楽しい時間になるようにしたいな、と思うのです。 ![]() 今春、長女は小学校卒業です。 昨日は卒業式でした。とてもいいお式でした。 どの子もこの子も、キビキビ動き、 証書をいただく時に名前を呼ばれての返事も誇らしげで、 はっきりした大きな声は、体育館中に響き渡っていました。 我が娘も含めて成長した子らの姿を見ていたら、 張り詰めた式の空気も手伝って、めちゃめちゃ泣けました。 教室で担任の先生から子ども達にかけられた言葉。 「このクラスは本当にいいクラスやった。他の先生も言ってくれる。 何がいいって、先生じゃなく、君らがいいんやと思う。 ボクはこれから教師を続けていくと思う。今は教師も大変な時代や。 だからこれから先生もいろんな学校に行って、きっと苦労すると思う。 でも、このクラスをこれから理想にしてやってくわ。 このクラスが、先生の理想や。 君らもこのクラスでがんばったことを誇りにがんばってほしいと思う。 何でも一生懸命な君らを見て、『何をアツくなってるんや』」って 馬鹿にするヤツに出会うかもしれない。 でも『アツくて何が悪いんや』と、負けないで努力することを やめないでほしいんや。」 思い出してこうして書いていても涙が出てくる…。 先生も涙ぐんでいて、そんなアツい言葉をかけてくれたのでした。 いい先生だったな。本当にありがとうございました。 ぽろぽろ泣くかーさんとは対照的なポーカーフェイスの娘は、 目を真っ赤にして泣くことはなかったけど、 先生の話にうんうんうなずきながら、目をうるませていたようでした。 上の画像は、毎日暮らした6年の教室。 向かって右から2列目、後ろから3番目が娘の席。 教室も、机も椅子も、友達も先生方も、 娘といろんな形で関わって下さった方たちも、 みんなみんな、本当にありがとうございました。 ![]() おかげ様でかさかさから回復、 自分らしくモノを見たり感じたりできるようになりました。 ただ、いつものニュートラルな位置を跳び越して、 少々感度がよくなりすぎてるかも。(すぐ泣くんだよね。) …春だからかな。 春だからか、いろいろな人と集まりましょうとかってなったり、 年度の終わりだし打上げましょうってなったりして、 たくさんおしゃべりする機会があります。 …本当に人っていろいろ。いろいろな考えの人がいますね。実感。 勿論、私も、他の皆さんから見たら 「人っていろいろね」な感じなのでしょう。 少し前のほぼ日、「今日のダーリン」にこんな文章がありました。 ***************************************************************** 他人と自分がちがっているようだと気付いたとき、 ことさらに「自分のほうこそ正しい」と 主張する人もいますが、 どうも、ぼくはそういうタイプではありません。 また、「ああ自分はまちがっている!」と、 自分を否定してしまう人もいますが、 ぼくは、そういう人でもありません。 「他人たち諸君」と「自分」は、共存できる。 そう考えておるのであります。 例えば、です。 一般的に「他人たち皆さん」は、 「朝食はさっぱりしたもの、軽いものを食べる」 と思っておられるようです。 しかし、実はオレは、朝食がすき焼きだろうが、 焼き肉だろうが、チャンコ鍋だろうが、とんかつだろうが、 まったくかまわないのです。 みんなが、あまりにも「朝食は軽く」ということを、 疑いの余地ない常識として語ることが多いので、 このことを、オレは何十年も黙っていました。 「ええっ?!信じられなーい」なんて、 うるさく言われたくもないし、 「信じられなーい」と言いたがる人たちと、 言いあいをするつもりもなかったからです。 ぼくも、軽い朝食につきあっていれば、問題はないのです。 で、ひとりでいる朝に、重いものが食べたかったら、 静かにそれを食べればいいというだけのことです。 どっちだって、いいのです。 どっちが正しいかまちがっているか、 決める必要もないのです。 たがいに「へーえ」と言って、おもしろがればいいのです。 だいたい、こんなことを言っているぼくは、 朝食に重いものを食べた経験など、ほとんどありません。 他人たちの「常識」に合わせていて、問題ないからです。 そんなことばっかりだという気がします。 ***************************************************************** …私も周りの人とのスタンスは、 基本的にはこんなカンジのような気がします。 私は私で、自分の考えはなくもないけれど、 人に合わせて何の問題ないので、合わせることが多い人間です。 が、その場で合わせたけれど、やっぱり違和感が残る場合や、 どうしても合わせられなくて、自分の我を通してしまった場合や、 合わせてばかりいる、八方ビジンな自分を 情けなく感じる場合もあります。 そんな時が、そんな時こそが、 家族も含めて自分以外の誰かとの関わりの中での「学び時」と思います。 学ぶというよりは、訓練といった方がいいかもしれません…。 糸井さんの言うように、 「どっちが正しいかまちがっているか、決める必要もない」という 基本に立ち返る訓練。 違和感も、我を通して迷う気持ちも、情けなく思う気持ちも、 最後にこの「真理」に行き着けば、 きれいに解消されるような気がします。 他の人も合わせる私も、お互い我を通すことも、 どちらも、どれも、正しいとか間違っているとかではない、と、 誰も裁かず、互いに気持ちよく繋がっていられる方法を見っけて 共存していけばいいんだろう、と。 いろんな感情体験を通して、いつでもいち早くここに立ち返る訓練を 積んでいる最中なのかもしれません、私の場合。 *画像* いただいたイタリアの旅のお土産。ハンドクリーム。 舶来品のかほり。 |