プール
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映画、プールを観てきたのは先週のこと。

「ことばスクナ」の作品。
「メッセージを押しつけてこない」作品。
「余白の多い」作品、でした。

平日の午前中の映画館で、見事に性別、年齢層がばらけているのも、なんだかよかった。
「語られてない」作品を観たそれぞれの人たちが受け取って帰るものは、
文字通りの“色々”、十人十色なんだろうなぁ、と思いました。
それぞれのアンテナで、
この、ゆるい映画から静かに発信されている電波を受信して帰ったんだろうなぁ、って。

私の受け取ったもの。
短い観賞文を書いてみよう。

チェンマイの地で暮らし、生きる、京子(小林聡美)の選択、役割。
市尾(加瀬亮)には市尾の、菊子(もたいまさこ)に菊子の、ビー(男の子)にはビーの、選択、役割。
本人たちは、それについて多くを語ってないけれど、
洗濯を干し、仕事をこなし、ごはんを作って食べ、飼っている動物にごはんをあげる、
そんな何気ない姿から、確かな、それぞれの役割がみえてきました。
大きくても小さくても、
それが自分の役割だとわかっていてもわかっていなくても、自分の役割をこなす。
それだけですばらしく、尊い、古都チェンマイでの暮らし。

みんな、ことばレベルというより、魂レベルの意志で、
チェンマイのプールのそばを自分の生きる場所としているんだろうな。
さよ(伽奈)もさよで、そんなチェンマイのみんなと触れ合うことで何かを見つけたようで、
これから、“さよらしい”選択をしていくはず、きっと。
そんな顔をして帰国していたなぁ。

私。
今年の春に住まいを変え、今年は仕事をしないんだ、と決めた私。
そんな私にも、映画の中のみんなとおんなじように、
私の選択と役割があって、
それはまた、映画の中のみんなとおんなじように、
はかな気なようでいて強い意志、強いようでいてはかないけど、
それでいいんだよ、それぞれでいいんだよ、って、
そんなやさしい風のそよぎ。

映画館を一歩出たそこには、
ランチタイムの休息で通りを歩いている、IDカードを首から下げるお仕事な人たち。
キリリとした服装(かっこいい♪)のその人たちにも、その人たちの選択、役割があるんだろう。
映画の中の京子たちがいて、IDカードな人たちがいて、私がいる。
それぞれがそれぞれの形で社会とつながり、
それでいいのだ、いやいや、それ「が」いいのよ、とか、
ある意味ワークシェアか?、いやいや、ある意味じゃなくてもワークシェアよ、とかね、
お昼ごはん@スーホルムカフェのスワンチェアに座って考えていたのは、そんなようなことでもあり、
また、注文したエビとアボガドのサンドって、うまいよねぇ、でもあり、
それとか、スーホルムカフェのトートバッグのパープルを連れて帰るかどうか、でもあったのでした。

結局、連れて帰りませんでしたが、落ち着いたいい色です、このむらさきいろ。
HPの画像より実物のほうが、もすこし濃い、スミレな感じ。
この前のぞいた45rpmにも、いいむらさきいろのトートがありました。
薄むらさきが気になる秋です。

おっとっと、脱線。
この映画のゆるさ、やさしさには、こんな脱線こそ、よく似合うかも(笑)

この映画のコピーは、「理由なんて、愛ひとつで十分だ」。
“小理屈こね子”の私、説明のことばが無いほうがよい時に、
あれこれ理由をあげつらいそうになったら、
このコピーに、この映画の空気に、身を委ねようと思います。

印象的シーン、キーワードで覚え書き。
・揚げバナナ
・京子の白ブラウス
・ピクルスを届けた日の菊子のワンピース
・ラストシーンの道の赤
・鳥のさえずり、風、歌


09/25 10:26 | 「読」・「観」 | CM:2 | TB:0
かんそうぶん
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シャワーで済ませてばかりだった、ここのところ。
たまにはお湯をはって、お風呂につかろう、って。
本を持ち込んで、しっかりゆったりあったまろうって。
昨夜のこと。

Amazonの中古本だってんで、心おきなく持ち込んで読んだのは、
「チエちゃんと私」、よしもとばなな著、の読みかけ。

残っていた5分の4、
汗をぽったりぽたりとかきながら、読み切りました。
読後の後味、ものすごくいいんだよなぁ。
すっきり。

お風呂から出て、ベッドの上でもう一度ページを繰る…。
あちこちで酔いしれた文章に、サイドライン、エンピツでしゃーっ。
「ばななさん、やっぱ、天才やし」
「ここんとこの表現、あたしに使えるもんならいつか使わせてほしいよなぁ」
って、そんな箇所に、
何せ古本なので心おきなく、しゃっ、しゃーっ、って。

お風呂あがりにストレートでごくごく飲んだ梅酒も手伝ってか、
いい気持ちで眠りにおちました。

一日経って、だからかなぁ、と思いついた、この本の後味のよさの理由。
主人公である「私」が、
誰かを、何かを、悪く言わないし、思おうとしていないこと、
なんじゃないかなぁ、って。

誰かを憎たらしく思わないでおこう、とか、
妬んだりしないでおこう、とか、
美しい行動を心がけるんだわっ、とか、
力んでそうしているわけでもないのに、
でも、ちゃんとそう、なのが、いい。

だからといって、
何も感じずに感情にふたをしているとか、
考えることをしようとしていないとかではなくて、
ちゃんと目の前のことを分析し、考える、
そしてちゃんと他や自分を受け容れていく、その姿勢のよさがよくて。

もっと言うと、
この「私」である主人公や、ストーリー全体のカラーの、
善とか悪とか、正とか誤とか、
そういう、裁き、みたいなものに関してのアンテナが、
かなり低いところにあるんじゃないかなぁ、って。
アンテナ、たってないわけじゃないけど、べらぼうに低い。

こんな感じのあれこれが、
後味すっきり感につながった感じ、します。

…話、それます。
自分の中に揺るぎなくある、人生の「モットー」。
「モットー」を親分としたら、その子分格に、
「○○してみようキャンペーン」みたいなんを置くことがある…、私の場合。

「モットー」のほうは、
生まれた時から、物心ついた頃から、で、自分の中で不変なもの。
「キャンペーン」のほうは、思いつき度が強く、可変。
ある経験や思いを味わったことで、ある日突然「○○していこう」と決められて、
それなりに、○○できてきたら、自然消滅しちゃったり、
○○するより、△△するほうが自分らしいかな、と思えてきたら、
「やっぱ△△していこう」と方向転換されたり。
たまに、お正月や誕生日や記念日、みたいな時間的な節目でも、
キャンペーンが置かれることもあるのだけど、
こっちのキャンペーンは大抵三日坊主。長く続かないなぁ(笑)

ただ、モットーも、キャンペーンも、
意識的に、がっつりそのポイントめざしてます、というより、
そっち方面にむかってるよー、むかうよー、な無意識さ。
毛筆で志をしたためて机の前に貼って…みたいに、
強い気持ちのもとに決めたことじゃなく(笑)、
どうも、自分のベクトルはそっちだなぁ、という感じの、
結構アバウトで、ライトで、無意識レベルの高い、モットーとキャンペーン。

心がけていることって、そうやって、普段は無意識の部分が多いけど、
でも、今回みたいに、ある本との出会いとか、
またある時は、テレビや雑誌や誰かの話とかね、
そういうものによって、突然、ことばや文章になって、意識化された時、
「そうそう、それそれっ♪」って嬉しくなる。

何が言いたいかといえば、つまりは、
このたび、私のモットーが、
主人公「私」の姿に意識化され、呼び起された、のが嬉しかったってわけで。
そのモットーっていうのが…(本当に恥ずかしいので、ぽそりと)
「誰かを、何かを、悪く言わない、思わないで、受け容れて」。
私は、そうして生きていきたいんだよねぇ。

でもね、数年前に、
モットーを完遂したいと思いながらも、
今の自分じゃあ、どこか、何かが足りない、って、
私の中に不足している部分に気づき始めたことがありまして。
その頃に、正直な人と関わったこと、
というのが、きっかけのひとつかもしれないです。

例えば、あまりに正直すぎる感情で私にぶつかってきてくれる人に、
たまに「ちくしょー」と思うことがある。
けど、何せモットーは、「悪く言わない、思わない」なので、
「ちくしょー」は封印して、するり、通り抜ける。
うまくスルーできる時もあるけど、
「ちくしょー」がどうしても消化できなかったり、
本気でぶつかってきてくれた相手に「慇懃無礼では?」という思いが残ったりする。

私には「正直」が足りないんだ、と、思ったその頃…。
だったら、補ってみようか、と、「正直」キャンペーン開始。
自分の中のずっこいところも、意地悪なところも、毒の部分も、
計算高くならずに、必要なら、できるなら、表現してみよう、
って、思うこと、ここ1、2年。

もうしばらくは、continue。
私のちょうどよい「正直」に着地できて、次にいけますように。
本当の自分の気持ちで、お人に、モノに、事柄に対峙して、
その上で、自分のモットーを純粋に守っていけますように。
なんの淀みも濁りもなく、自分のモットーに沿って生きていけますように。

本のことに話を戻すと、
この本の何よりの「もうけ」は、
私自身が「正直」をキャンペーンで強化しながら向かおうとしている、その先のステージで、
ちゃあんと地に足をつけて生きている主人公の姿を見せてもらえたこと。
主人公「私」ことカオリが、決してさらりとではなく、あれこれ惑い、思いながら、
それでも「悪く言わない、思わない」で、暮らす様を見せてくれたことが、
希望や肯定を、私に与えてくれたのでした。
もう思わず、「カ、カオリさんっ!で、弟子にしてくださいっ!!」って、
いつもの「弟子入り癖」が出そうになったもんね(笑)

今の時点で、こんな状況の私が、
カオリの生き様に触れられた、ということは、
神さま、仏さまからの
「はよ、上のステージにあがってきなさいやー」というエールかも?
…なんてね。全くお気楽なやっちゃ(笑)
とにかくは、毎日を、正直に、やさしく、だな。

朝顔咲く、原マスミさんの画も今の季節にぴったり。
本棚には、表紙をこちらにむけて置いちゃう。

出会える人、モノ、コトは、いつも、いつだって、タイムリー。
また、いい本に出会えました。
ありがとうです。


07/30 01:47 | 「読」・「観」 | CM:8 | TB:0
りんからんのずーにーさん
Lingkaran2月号

Lingkaran2月号と出会えました。
↑再び読みたいと、恋焦がれたのは、この見開き。
巡り合わせてくれた、全てのお助けに、ありがとう。

ズーニーさんが「書かれたことば」、と思い込んでいたけれど、
正確には「語られたことば」でした。
だからかぁ、よりやさしく入ってくるのは。
よりやわらかい印象なのは。

すてきな人のすてきなことば。
ココを訪れてくださる方と分け合うために、
自分が心により一層留めるために、
この見開き分の全部のお話、そのままそっくり、ココに↓
(読んでくださって、何も言わずに浸ってくださるのも、
 そのままスルー、も、すべてアリです。)

では、以下、よろしければ…ぺこっ(一礼)


02/23 13:17 | 「読」・「観」 | CM:4 | TB:0
かげひなたにさく
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「陰日向に咲く」…観ました。

短い感想文。
素直に、人間っていいよねぇ、って思えました。
人間は誰しも、弱くてもろくて、それでいいのだ、って思いました。
でも絶対、それぞれの人の中の、核、みたいなところに、
純粋さ、とか、きれいなもの、があって、
たとえ時間はかかったとしても、そこの清い部分が通じ合うことで、
どんな愚かな行いや感情にも、「ゆるし」が生まれ、
そこのところが伝わり合うことで、
触れ合う喜びも生まれるのだな、って思いました。

人気お笑い芸人のビギナーズラック的小悦、の映画化かぁ、
観てやろうじゃないの、お手並み拝見…って、
そこまでクールに、っていうのか、
真剣に評価しようとしたり、って相対する気持ち、
のっけからさらさらなく(私、そこまで「映画通」じゃないし、ね)、
力まずに映画館のシートにゆったり身を預けて観た、この映画。
だから、なのか、だけど、なのか、
素直にいっぱい泣いて、笑って、切なくもなって、
喜怒哀楽とか、私の中のいろんな種類の感情を、
ゆっさゆっさ揺さぶってもらって、あぁ気持ちいい!って、
観終わった後に思いました。
この映画をつくった人たちの術中に、まんまとはまった、のかもしれないし、
でも、そういう誰かが仕掛けた落とし穴みたいなものに
わかっててはまる、っていう、そんな自分の中の単純なところ、
結構気に入ってたりもして。
(いい人ぶってまぁす・笑)

寝る前になにげに読み直していた五木氏の「人間の関係」。
最後の方の、東大入学式での講演でのエピソードから
(ご本人は、講演は大失敗、とおっしゃってます…)
映画の感想と重ねて、なるほど、と思った文章、抜書き↓
映画のおかげで、わかり直せました。
腑に落ち直すこと、できました。

**************************************************************************
この入学式での話のなかで、ぼくが言いたかったのは、たった一つのことでした。
人間はいいかげんで、愚かしい存在だが、
それでも信じられるところもあるよ、ということです。

百パーセント信じられるわけではない。
また百パーセントの人間不信もまちがっています。

九十五パーセント信じられなくても、
五パーセントぐらいは信じていいのではないか。
ぼくはそう感じています。
その五パーセントの有無が、きっと大事なところだと思うのです。

荒涼とした人間不信と、自己嫌悪の深い淵をみつめて、
私たちは迷いながら生きていかなければなりません。
いやであっても、 納得できなくても、そうしなければならないのです。

その暗闇のなかに、遠く、ちいさな灯影が見える。
明かりがかすかに揺れている。
それをみつけたとき、私たちはどれほど励まされ、
勇気づけられることでしょうか。 

人間は信じられるか。それとも信じられないか。
そんなことを議論しても仕方がない。
ほんの小指の先ほどの信頼でも、
信じられるものがあるということが重要なのです。

ぼくは、その五パーセントを信じて、きょうまで生きてきました。
それ以上の信頼をもとめるなんて、贅沢すぎるじゃないか、という声が、
いつも頭の奥に聞こえるような気がしてならないのです。
**************************************************************************

観るもの、読むもの、感じたこと、見たこと、聞いたこと。
繋がる時には繋がるものです。 
というか、「繋げ好き」、なだけかなぁ(笑)


02/10 06:14 | 「読」・「観」 | CM:6 | TB:0
ほんやさんへ
クウネル&暮らしの手帖

えっちら、おっちら。
今日の小雨降る夕方に、
フードかぶって片足ギブスでこそこそチャリこいでいた、怪しいオンナ、
それは私です。

ギブスって、ペダル踏めるんかなー、
とりあえずは小屋の手前にある小学生の長男のチャリで試しとけーって、
先ずは家の前の道でくるくるっと、コドモ用チャリで試しこぎしていたのは、
まぎれもなく、40オンナの私です。

どうしても、是が非でも、行きたくなったので、
本屋さんへチャリで行ったわけで。
買わずにやり過ごすつもりだったけど「やっぱ買おっと!」と思い立った本…
2冊ばかり、急にほしくなったので。

それというのは、
「別冊 暮しの手帖・わたしの好きなインテリア雑貨」と
「ku:nel vol.29」の2冊。

わたしの…の方に、小林聡美さんが出ていて、
「軒先園芸」を眺める姿と、北欧風でレトロ柄なスカートが印象的。
ku:nelの付録のカレンダーもかわいいです。
あと、ku:nelの後ろの方のページに、
Plantationの白いシャツがあって、大き目の襟にメロメロ。




↑本屋さんでは、これも迷いました。
「かわいくておいしい」。
渡辺有子さんと伊藤まさこさん、
大好きなふたり…。
かわいい箱やパッケージの「おいしいもの」が紹介されていて、
あぁ、取り寄せたいぃぃぃ、って思いました。


雑貨好きの恋する雑貨たち

↑迷ったのはこれも、で。
「雑貨好きの恋する雑貨たち」。
いろんな雑貨本とか、インテリア本とか、すてきblogで見かける、
おしゃれ暮らしの常連サンちがたくさん出ていましたよ。
ほれぼれ。


プリン

先週かな、お昼ごはん食べにいきました、夫と。
ここのプリンはやっぱりおいしいです。
まるでグルメblogerさんの画像みたいに、
珍しく美味しそうに撮れたので、のっけてみます。


12/07 18:25 | 「読」・「観」 | CM:8 | TB:0
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